《 世界のワクワク住宅 》Vol.016

「夢の入口」世界的建築家が各フロアをデザインしたホテル 〜マドリッド(スペイン)〜

投稿日:2019年3月21日 更新日:

突然だが、今日は詩の一節から始めてみたい。

 

学校のノートの上
勉強机や木立の上
砂の上 雪の上に
君の名を書く
(中略)

切れ切れの青空すべての上
池のかび臭い太陽の上
湖のきらめく月の上に
君の名を書く
(中略)

一つの言葉の力によって
僕の人生は再び始まる
僕の生まれたのは 君と知り合うため
君を名ざすためだった

自由 と。                    

(ポール・エリュアール「自由」、安藤元雄訳より抜粋)

 

これはフランスの詩人、ポール・エリュアールが書いた「自由」という詩。第二次世界大戦中、ヒトラー政権下のフランスで切望した自由を思い焦がれた「君」になぞらえ、謳いあげた一編だ。

この美しい詩がシンボリックな装飾として用いられているホテルがスペイン・マドリードにある。「ホテル・プエルタ・アメリカ」。高級なサラマンカ地区からほど近い、アメリカ通りに立つ5つ星ホテルだ。多言語に翻訳されたエリュアールの言葉が、ファサードを覆うカラフルな天幕や地下駐車場の壁面に散りばめられている。

では、なぜ「自由」なのか。

2005年にオープンしたホテル・プエルタ・アメリカ最大の特徴。それは世界的に有名な建築家が個別にフロアをデザイン・設計したという、かくも斬新な建物そのものだ。設計や内装が各自の裁量に任されたという、クリエイターにとっての究極の自由。その中から好みの部屋を選べるという、宿泊客の贅沢な自由。その双方がこのホテルを唯一無二のものにしているのだ。

全フロアには共通する基本構造がある。エレベーターを降りると円形の乗降ロビースペースがあり、そこから両側に部屋が配置された廊下へと進む。招聘されたのは世界13カ国の計19組の建築家、アーティストやデザインスタジオ。エレベーターのドアが開いた瞬間から、それぞれの世界観を余すところなく堪能できるのだ。

早速、いくつかのフロアを紹介していこう。

まず1階は、ザハ・ハディッドのフロア。ハディッドといえば、コンセプチュアルなデザインが実現しづらいことから、かつて「アンビルド(建たず)の女王」と揶揄されたこともある建築家。日本の新国立競技場のデザイン案が白紙撤回になったことも記憶に新しい。しかしここでは、ハディッド建築の代名詞とも言える流線が織りなす空間に存分に浸ることができる。

天井から床、すべての家具が白一色。有機的なフォルムが想起させるのは近未来か、はたまた母体回帰か? 徹底して角がないので遠近感が掴みづらいかもしれない。ハロゲンライトをヘッドボードに仕込んだベッド、宇宙船のようなトイレ、マシュマロをくりぬいたような椅子。どれもワクワクするディテール!

同じ形状の黒い部屋もあるので、写真で見比べていただきたい。

あなたならどっちを選ぶ?

3階はイギリスの建築家、デイヴィッド・チッパーフィールドが手がけた。フロアに降り立つと、今度は真っ黒な廊下。先ほどとは対照的に、重厚で均整の取れた空間が広がる。壁面には漆が施され、その艶やかな漆黒を切り裂くように筋状の照明がはめ込まれている。

部屋は実にシンプルだ。フロア全体にテラコッタタイルを敷き詰め、長椅子やヘッドボードは黒いレザーで覆われている。浴室の壁面は大理石。極端なデザイン性ではなく、上質な素材がもたらす洗練された居住性に重きを置いていると言える。

さて、実は私、取材でマドリードを訪れた際にプエルタ・アメリカに宿泊したことがある。その時に利用した部屋をご紹介しよう。7階、ロン・アラッドのフロア。ドアを開けると部屋の中央にくねくねとカーブした壁があり、空間を左右に分かつように奥へと続く。これが真っ赤なので、まず驚く。

壁の左側にはクローゼットやデスク、右側には洗面と浴室がある。突き当たりに鎮座するのは大きな丸いベッド。バスタブを含め仕切り壁は一切なく、すべてが壁伝いに連続しているのだが、湾曲した壁は見通しがきかないので各要素の独立性は保たれている(でも、誰かと一緒に泊まる場合には少々戸惑うかも!)。

テレビがなかなか見つからない。やがて気づくのだが、天井から巨大なスクリーンがボタン一つで降りてきた。感覚的で、挑発的。エンターテインメント性が高く、土産話にはもってこいの部屋だった。

錚々たる顔ぶれにふさわしく、日本人建築家では磯崎新が参加している。10階は障子や檜風呂、床の間を思わせるテレビスペースなど日本的要素をふんだんに盛り込んだ静謐な空間となっている。黒という色が持つ深い精神性に魅了される宿泊客も多いだろう。

11階はハビエル・マリスカルの世界観が広がる。バルセロナ・オリンピックのマスコット「コビー君」を手がけたスペインのデザイナーだ。ロビーには大きなサボテン彫刻のほか、マリスカルがデザインしたさまざまなオブジェが展示されている。

部屋に備えられているのはジョージ・ネルソンの肘掛け椅子、アルネ・ヤコブセンの照明、ディエゴ・フォルトゥナートのカーペットなど。インテリア好きには垂涎のセレクションとなっている。

プエルタ・アメリカの依頼は特殊だったと、マリスカルは回想する。

「ゲストは皆、テイストやニーズが異なります。だからクラシックとモダンな要素を共存させ、時間とともに味わいが増していく部屋を目指しました。ここを仮の住まいとする人々が心地よいと感じる空間にしたかったのです」。

その他、フランス屈指の建築家ジャン・ヌーヴェルは、荒木経惟の写真を半透明の仕切りパネルに用いた官能的なスイートルームを設計。

一方、コンペティションで選ばれた若手のプラズマ・スタジオは、ステンレスを用いたシャープでダイナミックなフロアを完成させた。

ご覧いただいたように、プエルタ・アメリカは「夢見る場所」と銘打つだけあって、幻想的で非日常的な刺激に満ちている。宿泊客はチェックイン時にこれらの中から利用可能な部屋を選択することができる。広報のサラ・ディアズさんに聞いたところ、ハディッドとヌーヴェルの階が一番人気だそう。

最後に、宿泊した際のお楽しみを一つお伝えしよう。それはエレベーターに乗った際に、他の宿泊客が降りたフロアをちらっと覗くこと。誰かが見るであろう夢の入口に立ったかのような、不思議な感覚を味わえるかもしれない。

「自由」という壮大な思想に抱かれ、ここで見た「夢」という思い出を持ち帰る。
そんなホテルに是非、足を運んでいただきたい。

 

写真/all images and sources courtesy of Hotel Puerta America

文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

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河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書、展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。主な訳書・訳文に『ジャン=ミシェル・バスキア ザ・ノートブックス』(フジテレビジョン/ブルーシープ、2019年)、『バスキアイズムズ』(美術出版社、2019年)、エイドリアン・ジョージ『ザ・キュレーターズ・ハンドブック』(フィルムアート社、2015年)、”From Postwar to Postmodern Art in Japan 1945-1989”(The Museum of Modern Art, New York、2012年)など。近年は、展覧会の音声ガイドの執筆も手がけている。

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