[小商い建築ウォーカー神永セレクト#007]
「賃貸住宅ってどうしてキッチンが小さいのだろう」。 そんな悩みを持ちながら物件探しをした経験がある、料理やお菓子作りが好きな方も多いのではないでしょうか。
今回ご紹介するのは、JR「王子」駅(東京都北区)から歩いて15分ほど、住宅や低層のマンションが並ぶエリアに位置する築48年のマンションをリノベーションした賃貸マンション「ミカワヤビル」。1階には地域を見守る場所としてのシェアキッチンと住居、2〜4階にはキッチンメインの間取りが特徴の住居が並びます。
大胆でチャレンジングなテーマ設定と、改修設計内容を実現するには、それだけの想いがあるオーナーの存在が不可欠です。お祖母様から委任を受け若干20代でオーナー業を手掛けられる高須弘絵さん、パートナーの和田雄樹さんに話を伺いました。
また、この物件は[小商い建築ウォーカー神永セレクト#001]でご紹介した“vita passo 楓の樹”を手がけた企画+設計チームが手がけています。事業収支検討・不動産仲介を担当するスタジオ伝伝の菅生明子さん、改修設計を担当したつばめ舎建築設計の永井雅子さんにも同席いただき、大きなキッチンテーブルを皆で囲みながらの、終始和やかで期待感に溢れたインタビュー時間でした。
Contents
1.コンセプトが明確な賃貸住宅への期待
ミカワヤビルが建つのは、旧商店街だった通り。もともと1階には文房具や食品を扱う”三河屋商店”があり、地域の人たちが立ち寄る場所になっていました。
当時から2〜4階は賃貸住宅として運用されていて、30年前からは1階も賃貸住宅に変わったのだそう。
高須さんが管理を引き継いだのは3年前からで、ちょうど雨漏りや配管の劣化による苦情が入居者さんから出てきた時期。建物は築47年をむかえて全体的な劣化もあり、大々的なリノベーションを考えるきっかけになったのだそうです。
売却も考えたそうですが、このビルは高須さんが幼少期に育った場所。住みやすく好きな地域であったため、賃貸住宅で運営を継続していくことを決めました。
築古で駅から距離もあるため、コンセプトを明確にして差別化した方が良さそうだなと考えていた頃、高須さんのお母様が1階で飲食店をやりたいと希望されました。
「母の飲食店は事情があり叶わなかったのですが、1階を店舗にすることを考え始めたのをきっかけに、大家として地域活性の視点が芽生えました。」と話す高須さん。
和田さんも、”暮らし”に焦点をあてたテーマで、暮らしながら自分の好きなことに取り組めたり、お店を持てたりできる暮らしがあったらどうだろうとイメージし、ふたりでリサーチやヒアリングを重ねていくなかでスタジオ伝伝さんに出会いました
スタジオ伝伝さんとつばめ舎建築設計さんから成る企画設計チームから提案された“食べる賃貸住宅”というキーワードは、驚きもありましたが、高須さんが食好きであったこともあり、「これだ!」という納得や期待感が大きかったと言います
2.地域にひらくシェアキッチン店舗+住居のある1階
1階は、72.54㎡の店舗兼住居なのですが、賃料はなんと破格の116,000円。しかも厨房設備もついていて、少額の初期費用でお店が始められるという好条件。
破格賃料の理由を菅生さんに訊ねると、日曜日をシェアキッチンとして、上階入居者や地域の人に貸し出すことをお願いしたいからとのこと。
オーナーさんの「地域を見守れる場所として近所の人が気兼ねなく立ち寄れる場所であり、ミカワヤビルに集まる入居者の交流のきっかけにもなってほしい」という想いを実現するため、この店舗+住居の入居者さんは、その価値観を共有し、一緒に地域にひらきながら運営することを楽しんでもらう役割があるのです。
そんな想いが伝わったのか、現在入居予定のご夫婦は、餅つき大会のイベントや入居者コラボも考えているという理想の入居者さん。惣菜や定食の販売から始め、いずれはイートインも想定しているのだそう。
1階店舗は保健所からの飲食店営業、菓子製造業の営業許可をオーナー側で取得済みになっています。そのため、赤線で囲まれた店舗部分にトイレがあり、住居用に別でキッチンやトイレ、玄関が配置されています。お店がオープンして実際に人が出入りし始める風景が待ち遠しいですね。
3.全て異なる間取りに暮らしの想像が膨らむ、DIY可能な2階〜4階住戸
2階〜4階には、スタジオ伝伝とつばめ舎で “キッチンで寝られる”くらい思い切ろうと検討したという、大きなキッチンが部屋の真ん中にある間取りにリノベーションされた住戸が5部屋あります。
しかも、キッチンの形と間取りは全室異なるこだわりよう。土足利用も可能な土間仕上げの床と、DIY可能な合板仕上げの壁を採用した設計デザインで、自分らしい“食と暮らし”を探りながらつくっていくことのできる棲家になるというわけです。
全ての部屋に共通する、一般的な賃貸住宅との大きな違いは、部屋の中で一番明るく気持ちの良い場所にキッチンがあるということ。レイアウトが変わるだけで賃貸住宅がこんなにも豊かになるのだという実例として、全室ご紹介したいと思います。
はじめに201号室に入ると、そこはまるでキッチンスタジオのお部屋!
69.37㎡あるうち、キッチンがその半分以上を占めていて、ホームパーティはもちろん、生徒さんを呼んだ料理教室の妄想も膨らみます。
菓子製造業の許可取得も想定した間取りになっているのが特徴で、製造業を取得する場合に必要となる住宅用キッチン設置に備えて、DENスペースには先行配管が準備されています。
キッチンカウンターの半分を囲む小上がりは椅子不要で腰掛けることができ、料理以外の作業テーブルとしても活用の場面が増えそうです。まさに、“キッチンに暮らす”ことを最大限に楽しめる空間になっています。
続いては301号室。細長い奥行きを持った区画を利用した、長く一列に伸びるキッチンカウンターが特徴のお部屋。
料理を作ってカウンターで食事を楽しむシーンが想像されます。カウンターがリビングに伸びているので、ダイニングテーブルは購入しなくても良さそうなのもメリットですね。
キッチンメインの部屋というだけあって、寝室は必要最低限のサイズですが、この大胆さが、むしろ小さな小屋で寝る時のおこもり感があり筆者は好みでした。
お隣へ移動し、302号室に入ると思わず声をあげてしまいました! 想像もしなかったコの字型アイランドキッチンがあるではないですか。一般的な賃貸住宅ではほとんど出会わないレイアウトです。
窓側を向いて調理ができ、まるでシェフになったかのような調理環境が魅力的です。パントリーも十分なサイズで、お友だちを呼んで料理を振る舞いたくなりますね。
そして、最上階の4階へ。リビングの一部に溶け込むように“への字”のキッチンが配置された401号室は、アイランド型ではないため、リビングの床が広いのが特徴です。小さなソファとローテーブルを置いて食事を楽しむことができそうですね。
また、建物の外形に合わせてうまれた、玄関土間付近のニッチスペースは、作業用のデスクや本棚を配置することもでき、料理本を並べた趣味空間になりそうな予感です。
最後に、402号室のご紹介です。土間のカウンターから明るいキッチンリビングへ細長く連続して伸びる空間の印象に、賃貸住宅の当たり前を覆す心地よさがありました。
賃貸住宅に住んでいると、効率的な配置計画を求めるあまりほとんどの場合が浴室やトイレと隣り合うかたちで玄関側に配置されるキッチン。どうしても窓辺になりにくくちょっと暗い印象があるのですが、この部屋では、窓に面して街の風景を眺めながら料理する時間を楽しむことができるのです。ついつい鼻歌を歌いながら料理を楽しみたくなる、開放的な間取りです。
4.食好きが集い、食べるものを育てる、みんなの屋上
さらにこのビルには、出入り自由な屋上があるのも大きな魅力です。
周辺建物よりも高い位置にあるため、眺望も良く、新幹線が見えるのも楽しいポイント。防火シートを引けばBBQもOKだそうです。今後は、入居者さんが集まれるちょっとしたイベントも構想中なのだとか。
早速テントサウナを設置して屋上のある暮らしを満喫する入居者さんの姿も見られるようで、賃貸住宅でそんなライフスタイルが叶うとは、到底想像できない贅沢さです。
オーナーさんたちがDIYで用意したという屋上の菜園には、ハーブやミントなどの食べられる葉物も植えられています。
「食に興味のある人が集まるのがミカワヤビルなので、屋上で育ったものを日常の食事にも使ってもらえたら良いなと考えました。入居者さんへの貸出も想定していて、少しの手入れでもちゃんと育ってくれるよう自動散水にしました。様子を見にくるたびに大きくなっているで、遊びに来るのが楽しいです」と話す高須さんと和田さん。
2024年2月に募集を開始し、4月時点で満室になるという注目度が高いミカワヤビル。
筆者が思うのは、賃貸住宅だからこそ、一風変わった間取りに価値があるのではないかということ。
購入住宅の場合、間取りは簡単には変えられないため、それなりの覚悟が必要ですが、賃貸住宅であればいざとなったら退去可能という気軽さがあります。駅からの距離や築年数だけで比較される均質な賃貸住宅がもっと個性が見えるものになると良いなと改めて思いました。
そして、実際に集まっている入居者さんは、こうした個性ある物件を心待ちにしていたであろう方々ばかり。将来お店を持つために修行中の方やコミュニティカフェに興味のある方、ステンドグラスのアトリエと食のコラボイベントを予定する方など、その暮らし方には、ただ住むだけではない拡張性が窺えます。
人生において絶対に切り離すことができない“食”をキーワードに掲げた、集まって住むビル。食べることを共有しながら生きる棲家は、お裾分けなど共助の関係性も文化として育まれるかもしれませんね。温度あるコミュニケーションの心地よさを体験しに、また遊びに行こうと思います。
文:神永侑子