「世界のワクワク住宅」では、古今東西問わず、世界中にある楽しい住宅やホテル等の建物を紹介していますが、今回はその番外編として、アフリカ・ブルキナファソで暮らす日本人女性・勝間美由紀さんに、ブルキナファソでの新しい家づくりや暮らしをレポートしていただきました。どうぞご覧ください。
私の名前は勝間美由紀。社会人になってもずっと実家暮らしだった私が初めて一人暮らしをした地が西アフリカ・ブルキナファソだった・・・。
2007年、青年海外協力隊に応募した。合格通知の「派遣国」の欄には、望んでもいなかった、いや、それまで目にも耳にもしたことのなかった国「ブルキナファソ」と記載されてあった。これが私とブルキナファソの初めての出会い。
約2年間、現地の幼稚園に勤務し、友人たちとの交流を深める中で彼らの伝統や文化、何より力強くおおらかな人々に惹かれていったー。
日本の暮らしの中で自分が気づかずにいたこと、考えすらもしなかったこと、毎日が発見の連続だった。
そしてこの地でボボ族の伝統音楽家・ベノワと出会い、2014年に結婚。以来、日本とブルキナファソの地を行き来しながら暮らしを営んでいる。
現在はブルキナファソ生まれのわんぱく娘5歳児と、日本生まれのはちゃめちゃ野生娘2歳児の母でもある。
そして今、我が家では夫ベノワの長年の夢でもあったマイホーム計画が数年前から実に 実にゆっくりと進行中なのである。
4年前ー。
家の構図のアイディアを出しながら、従兄弟のムサが一枚の紙切れに図面(っぽいもの)を描いた。
大型トラックが砂埃を立てながら赤土と白砂を運びにやって来る。
ダフィンチェー(ダフィン族の男)がロバの貨車に水を乗せて我が家まで運んでくれ現場の水を確保。村から兄弟、その友人たちがやって来て、セメントと砂を混ぜてブロック作りを開始。
こうしてマイホームの建築が始まった。
と同時に 私は大食らいの男たちのためガス台には決してのらない大鍋で大量の食事作りに追われる日々になったー。みるみる身体が引き締まって(痩せて)いく…。
男たちは数日かけて大量のブロックを作り終えると、それを日本のブロック塀のように積んで部屋の敷居、家の壁を作っていく。
それぞれの間取り寸法はその場で決められていく。
今日の街の家は大抵コンクリートで作られている。
同時進行で汚水のための穴掘りも開始。ごく稀にやって来る砂運びのトラック以外、仕事は全て人の手。重機や電気機械の音も聞こえてこない。
照りつく日差しの下で相当な力仕事と向き合う男たちの息づかい、楽しい話し声が現場には響いている。彼らの無駄のない動きと必要以上に引き締まった身体に思わず見惚れてしまうのは日本人の私だけだろうか。
家の形ができたら次は従兄弟の大工職人ニャマが屋根をつけ、友だちの溶接工に窓枠と鉄格子をお願いし、またもや友だちのガラス屋に窓ガラスを入れてもらう。「既定の寸法」というものなど存在しない。全てこちらが決め、職人たちがその都度採寸して加工してくれる。
手作りが当たり前なここでの暮らしは アイディア次第で自由自在なのだ。
将来、上水道、電線が我が家の前を通ったときのために室内の配管、配線もした。
水道の蛇口がつくであろうブロックの壁に
かんかんかーーーん!!!
と大胆に穴を開けた瞬間は驚いた。
「この辺かな?こんなもんかな?」
レベルの感覚だ。よく言えば 「ダイナミック!」、違う言い方をすれば 「雑」もしくは 「適当」としか言いようがない。
「ペンキを塗るときは俺を呼ばなかったら承知しないぞ!」と威嚇してくる友人コロアンペリヤーが家の中に色を加えてくれた。室内にはタイルも敷き詰め、扉も付けた。
建築にはど素人の日本人の私の目から見ても
え?それ、本当に水平になってる?
そこ、ペンキの色、はみ出てるよ!
と常に突っ込みどころは絶えないが、限られた道具と知恵と、あとは体力と気力で家を建ててしまうことに感服だ。
小さなソーラーパネルを購入し明かりを灯せるようにし、水はジーチギ(水屋さん)に3輪バイクで運んでもらい外と室内の水瓶に保存する。
穴を掘ったときに取り除かれた木の根っこたちは暑い日差しに打たれカラッカラに乾いている。焚き火の原料だ。
ここまで整えば、もう充分に「暮らせる」レベルに到達だ。
我が家の一日の暮らしは大半が外で行われる。食べること、調理すること、歯を磨くこと、洗濯をすること、客人を迎えること、子どもたちの身体を洗うこと、熱帯夜には寝ることだって。
雲の流れを眺めたり、お日様の高さを見ながら時間を計ったり、夕焼けにうっとりしたり、夜空に瞬く星の数や月明かりの明るさに驚いたり、なかなか良いものである。
室内で過ごすことと言えば、暑すぎる昼間に少しばかりの「冷」を求めてタイルの床の上に寝転がる時と、雨天時と、そして就寝時。
兄妹たちが居合わせる雨天時には兄(=ベノワ)を囲み、兄のスマートフォンをみんなで覗き込み、兄の日本での活躍に心ときめかせる。実に微笑ましい光景である。
というわけで我が家は朝食から夕食まで青空食堂なのである。
朝には2歳と5歳の娘が、広さ2畳ほどの近くの売店にお砂糖(計り売り)や紅茶(1バックから購入可)、フランスパン(4分の1カットから購入可)等々のお遣いに行く。
時には朝から焚き火してミニ揚げパンを作り口に頬張る前に
これはたこ焼きの形だ!
これはひよこの形だ!
と、みんなで想像を膨らませて遊ぶ。
ごちそうさまのあとは手作り水道の微々たる水量の水で食器を洗う。
その後は家族4人分の手洗い洗濯が私を待ち構えている。外の水瓶の水をバケツに汲んで、子どもたちの赤土だらけの服をごしごしごしごし・・・・・と洗う毎日。
最愛の義妹のエディットがよく来てくれ、我先にと家事をこなしてくれることも多々。
洗濯の後のすすぎ水で家の中の拭き掃除をし、雑巾を仕上げ洗いした後の水は子どもたちのままごと用の水になる。
なんとも言えないケチ生活、いや、節約生活。体力と気力勝負だ。
水がなくなりそうになったらジーチギに電話して配達をお願いするか、もしくは力持ちの義弟ポレンがいれば自転車にポリタンクをまたがせて共同水道へ行ってもらう。
雨の前の砂埃混じりの強風が吹き始めれば、ありったけのバケツを並べて分厚い分厚い雨雲から赤い大地を殴るように降り落ちる雨水を受けて、洗濯や掃除用にと資源確保する。
外のかまどはどんな鍋だって乗せちゃう万能者! 大人数分のご飯を調理するには必要不可欠な存在!ここでの暮らしは客人がいつ、どんなタイミングで何人来るかわからない。ご飯どきであれば 「さぁ一緒に食べましょう!」というのが礼儀である。
そんなときのために大量に一品を作っておくのだ。一品といってもここではそれが当たり前。
誰かが病気や怪我をすれば、村で暮らす義父が必ず木曜日に薬草をもぎ取りに出かけてくれ、ベノワがそれを取りにバイクを走らせる。 土壺に薬草をぎっしり詰めて水を注ぎ、それを外のかまどにどんと載せて煮出し、数日、その煮汁を飲んだり、それで全身を洗ったりするのだ。
先日は娘たちがとびひにかかり、その治療を。
薪をくべる者は薬草がぐつぐつと煮えたぎるまで決して誰とも話してはならず、娘たちが 話しかけても数時間黙ったまま。
土には長い刀が刺してあった。邪気を寄せ付けないようにだろうか。尋ねても教えてもらえなかった。治療中はシアバターを身体に塗ってはならない、生の落花生、山羊肉を食べてはならない等、いろんな掟がある。
普段は調理場だが 薬を煮出す時にはその空間が神聖な場所に変わる気がする。いつ どこから誰の手をどんな思いを乗せてやってきたかわかる薬。元気になるに決まっている!と確信してしまう。
我が家のかまどはみんなの健康を支えてくれている。
家事・洗濯・薬作りに渡るまで、ほぼ娘たちの目の見えるところで行われる(行うしかない)ため、子どもたちは遊びの合間に積極的に参加してくる。
5歳の娘は掃き掃除に拭き掃除、洗い物や洗濯、調理の手伝いを丁寧に手際よくこなす。一方 「わたちもするぅー」とやって来る気ままな2歳児は時々自分のパンツや服を洗う。が、それも束の間。すぐさま水遊びになるのだ。赤土まみれの手で洗濯物を触られぬよう、泥だらけの足で掃除終えたての室内に入られぬようこの人物には要注意な毎日なのです。
いずれにせよ、「手間ひまかけて暮らすこと」を子どもたちと共に学び、分かち合えることに幸せを感じずにはいられない。
もう少し住宅が密接している地域に行けば、そこら中に売店があったり、売り子が練り歩いたりしてる。いつだって冷たい飲み物で喉を潤すことができ、いつだって道端に座って販売しているおばちゃんのおやつを買うことができる。
しかしこの辺りには売り子もたまにしか家の前を通らない。
娘たちが氷屋を発見したら
グラシチギーーーーーーーーーーー!!!(氷屋さーーーーーん!)
と呼び止めて、すぐさま購入する。氷は小さく砕いて魔法瓶に保存しておくのだ。
でもグラシチギは毎日、家の前を通ってくれない(泣)。
ソージャチギ(厚揚げの串刺し屋さん)の女の子も時々やって来る。
娘たちは
ソージャチギ ナーナ!(ソージャチギが来た!)
とはしゃぎ、ソージャチギが来れば必ず買うようになった。サイコロ大の厚揚げが4つ串に刺さっており一串50fcfa(約10円)である。一本買って姉妹で分け合う。
この暮らしを営むことがまるで仕事のような、そんな日々。もうすぐこの空間での暮らしも2ヶ月が経とうとしている。
2年前に植えたマンゴーの木がちょっぴり大きくなった。マンゴーの木は木陰を作り、鳥たちを呼び、何より甘くて美味しい実をつけてくれる。5歳の娘はマンゴーの葉っぱでかわいいカバンを作って遊ぶ。
数ヶ月前に食べたパパイヤの種を植えてみた。
娘が毎日お世話をし、芽を出して大きくなったので 敷地内に移植した。美味しく食べたマンゴーもアボガドも芽を出した。
鶏を飼おう、菜園を作ろう、海外から訪れてくれる友人のためのゲストハウスを整えよう、ベノワの音楽スタジオを作ろう。
消費しながらも何かを生産する喜び、夢を広げる楽しみ。それが家族や友人たちとともにあるものであれば喜びも楽しみも倍になる。
受け身ではここでの生活は成り立たない。家族一人一人がそれぞれに自分の置かれた環境に積極的にかかわり知恵を働かせ、整えていくのがここでの常識なのだ。
窓があるのに窓の隙間から漏れてくるそこそこ大量の雨水、扉が閉まっているのにどこからか家の中に大量侵入する雨上がりに発生する虫。日本人的視点から見ると隙間だらけの家なのだ。
我が家は明らかに未完成だが、完成したとしても日本の一般的な家のような完成度には 決して到達しない。
壊れたら直す、欠陥があればその都度考え、自分たちで整えていくしかないのだ。
「完成させること」、「完璧であること」は時には必要かもしれない。でも ちょっとくらい足りなかったり、欠けていたりする暮らしの中には、全身の感覚を常に研ぎ澄ませることができるし、知恵を働かせ、工夫する楽しみがある。家族で助け合わなければならない場面もたくさん出てくる。必然的に家族それぞれの役割が生まれ 「家族一人一人」が「家」が「暮らしそのもの」が ますます生き生きするような気がする。
先日、新築完成祝いとは言えぬ、言わば引っ越しお祝いパーティーを開催した。新鮮な肉屋級の量の肉を屠殺屋さんで購入し、エディットや手際の良い親友オマールとともに調理する。多くの友人と一緒にお腹いっぱい食べて、お茶して、喋って、笑った一日。
今の暮らしにこうしてじっくり向き合うと、小さな小さな規模ではあるけれど 自分たちの思い描く「暮らし方」に一歩一歩近づけていることに感謝の気持ちを表さずにはいられないー。それはまさしく日本やブルキナファソの家族、友人たちのおかげ。
そんな大切な家族や友人を包み込んでくれる「空間」を大切に温めていけたらと願うばかりです。
文・写真:勝間美由紀