《 世界のワクワク住宅 》Vol.050

アメリカの原風景に佇む画家親子のスタジオ<N.C.ワイエスとアンドリュー・ワイエスのスタジオ>〜チャズフォード、ペンシルバニア州(アメリカ)

投稿日:2022年5月1日 更新日:

N.C.ワイエス(1882-1945年)と、その息子のアンドリュー・ワイエス(1917-2009年)は、親子二代でアメリカを代表する画家として知られる。ともにアメリカ東部のペンシルバニア州、チャズフォードにスタジオを構え、そこで多くの作品を生み出した。
N.C.のその他の子供たち、娘婿、孫も、すべて画家というワイエス一家。今回は美しい自然の中に佇む父子のスタジオを巡りながら、脈々と受け継がれてきた画家一家の系譜に触れていただきたい。

N.C.ワイエスのスタジオ外観。向かって左側がのちに増築された部分。 Photo by Above Ground Level Droneworks

N.C.ワイエスは、『宝島』、『ロビン・フッド』、『トム・ソーヤー』、『ロビンソン・クルーソー』といった児童書や古典文学の挿絵を描き、20世紀初頭のアメリカを代表するイラストレーターとして確かな地位を得た。
勇ましい海賊や騎士、開拓時代のロマンを体現するカウボーイや金鉱夫など、冒険心や想像力を掻き立てる彼の絵は今も多くの人から支持されている。『スター・ウォーズ』の生みの親であるジョージ・ルーカスも、N.C.の作品から多くのインスピレーションを得たという一人だ。

N.C.ワイエスの家の外観。

1911年、N.C.はロバート・ルイス・スティーヴンソン著の『宝島』の挿絵で得た収入で、チャズフォードにある7ヘクタールの土地を購入した。なだらかな丘陵と壮麗な景色が広がるこの田舎町に心惹かれたN.C.は、谷を見下ろす丘の上に2階建ての家とスタジオを建てる。
家はアメリカの植民地時代の建築要素を取り入れたコロニアル・リバイバル様式で、N.C.は温かみのある煉瓦造りが周囲と調和する様子を気に入っていたそう。N.C.はここで妻とともに、アンドリューを含む5人の子供を育て上げた。

光がふんだんに差し込むパラディオ式窓。 Photo by Daniel Jackson

隣接するスタジオの一番の特徴は、建物の北側にある大きな窓。中央の上部がアーチ型で、その両脇に細めの窓が添えられているパラディオ式と呼ばれるものだ。
N.C.は挿絵のほか大型の作品も手がけたが、その際にこの大窓の一部を布で覆うなど、調光をしながら描いたそうだ。スタジオは1923年まで電気が通っていなかったため、外光をうまく採り入れる工夫が必要だったのだ。

パラディオ式の窓はファサードのアクセントにもなっている。

先に述べた通り、N.C.の挿絵には極めてアメリカ的な人物や場面、モチーフが登場する。スタジオには、その際に参照したであろうたくさんの品々が残されている。
たとえば、白樺の樹皮で作られた本物のネイティブアメリカンのカヌー、楽器類、馬の解剖図やサドル、銃器やナイフのコレクションなど。N.C.は文学作品のほんの数行から想像を膨らませ、躍動感あふれる絵を描いたこと、そしてアメリカの英雄像を見事に表現したことを高く評価されている。それらの作品の多くがこのスタジオで生まれたのだ。

本棚に置かれたたくさんの船の模型は、海洋冒険小説の挿絵を描く際に参照されたものかもしれない。

しかし、彼自身は商業イラストレーターと正統な美術作家の評価の差に悩まされていた。そのためか、スタジオにはイーゼルに立てかけられたキャンバス作品も残されており、N.C.が生涯を通して画業の幅を広げようと腐心していたことがうかがえる。

ペン相互生命保険会社のために1923年に描かれたウィリアム・ペンの壁画。

圧巻なのは、1923年に増築された部屋に残されている、高さが4メートル以上ある油彩の壁画。これは17世紀末にペンシルバニア植民地総督を務めたウィリアム・ペンを描いたもの。N.C.は広いスタジオの板張りの床の上を行ったり来たりしながら、遠目から見た絵の完成度を高めたと言われている。

N.C.が使っていた画材はそのまま残されている。

確かなキャリアを築いていた最中の1945年、自動車を運転中に列車事故に遭い、N.C.ワイエスは63歳でこの世を去る。イラストレーターと画家としてのレガシーは、この地で彼の子供たち、とりわけ末息子のアンドリューに引き継がれていく。

白壁のシンプルな建物はN.C.の末息子、アンドリュー・ワイエスのスタジオ。 Photo by Carlos Alejandro

父から直接絵の手ほどきを受けていたアンドリューは、幼少の頃から病弱だったため、生涯のほとんどをチャズフォードと別荘のあるメイン州で過ごした。限られた場所で制作された作品の数々ではあったものの、アンドリューの作品世界はその後大きく花開き、20世紀のアメリカ絵画を代表する画家として大成する。

なかでも有名なのが、1948年に描かれ、現在はニューヨーク近代美術館に収められている「クリスティーナの世界」という一枚。
草原の上に、こちらに背を向けた女性が這うような姿勢で留まっている。彼女の視線の先にあるのは農家の建物。アンドリューの知人であったこのクリスティーナという女性は、下半身不随で実際に地面に両手をつきながら移動していたと言われている。繊細で写実的な描写を得意とするアンドリューが描いた彼女の姿は、悲壮感よりも静かな力強さを湛えている。

アンドリューの作品に多く登場する飾り気のない建物は、アメリカの原風景の一つ。彼のスタジオもまたその一例である。 Photo by Carlos Alejandro

アンドリューがこの絵を描いたのは、父のN.C.が悲劇的な事故で他界した3年後のこと。この絵は家族の別荘があったメイン州の風景だが、この頃からアンドリューは素朴な風景と内省に耽る人物を多く描くようになったと言われている。

スタジオは元々、1875年に建てられた学校の校舎であった。廃校となったのちの建物を、近くに住むN.C.が購入し、長女のヘンリエットと、その夫のピーター・ハードに提供した。夫婦揃って画家として活躍していた彼らは、ここを住居として使用した。
彼らが引っ越したのを機に、今度はアンドリューとその妻がここで暮らすようになる。その後住まいは移したが、アンドリューはこの建物が気に入り、自身のスタジオとして使い続けた。

アンドリューが使用していたさまざまな画材。 Photo by JJ Tiziou

1940年から亡くなる前年の2008年まで、アンドリューはこのスタジオで何千枚という絵画やドローイングを生み出した。その多くはチャズフォードの人々、建築物、風景に着想を得ている。学校であったため家具や装飾が少ないスタジオの様子は、色調を抑えた禁欲的とも言える彼の作品の美学と通じている。

パレット、絵筆、イーゼルなど。窓際には瓶詰めの顔料もたくさん置かれている。 Photo by Carlos Alejandro

アンドリューは義兄のピーターから顔料と卵黄を混ぜて描くテンペラ画法を学んだが、スタジオにはこれらの画材がそのまま残されている。テンペラは何度も顔料を塗り重ねる技法で、計画的な描写が必要なため、スタジオには多くのスケッチも見られる。
息子のジェイミー・ワイエス(彼もまた画家である)いわく、「このスタジオを訪れることが、アンドリュー・ワイエスの作品世界を知る最善の方法」だそう。

スタジオの扉。独特な表示が目を引く。 Photo by JJ Tiziou

スタジオの扉には、「ただいま制作中のため邪魔をしないでください。サインもいたしかねます」と記されている。制作風景を極力人に見せないことでも知られていたアンドリューにとって、スタジオはとてもプライベートな空間であった。今もなお、その独特な表示は掲げられたままだが、後世の私たちは画家の息遣いが感じられるこの空間に足を踏み入れることが許されている。

N.C.とアンドリュー親子のスタジオはともに国定歴史建造物に指定され、彼らの作品はワイエス家の他の画家たちの作品とともに、同敷地内にあるブランディーワイン・リバー美術館に収蔵されている。
なお、両スタジオのバーチャルツアーは下記のリンクから試聴可能。スタジオのディテールをさらに堪能できるので、是非アクセスしていただきたい。

写真/All sources and images courtesy of the Brandywine Conservancy & Museum of Art
The N.C. Wyeth House & Studio and the Andrew Wyeth Studio
https://www.brandywine.org/museum/about/studios

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

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河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書、展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。主な訳書・訳文に『ジャン=ミシェル・バスキア ザ・ノートブックス』(フジテレビジョン/ブルーシープ、2019年)、『バスキアイズムズ』(美術出版社、2019年)、エイドリアン・ジョージ『ザ・キュレーターズ・ハンドブック』(フィルムアート社、2015年)、”From Postwar to Postmodern Art in Japan 1945-1989”(The Museum of Modern Art, New York、2012年)など。近年は、展覧会の音声ガイドの執筆も手がけている。

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