《 世界のワクワク住宅 》Vol.038

眼下にはイギリス海峡!白亜の崖に立つ灯台ホテル<ベル・トゥート>〜イーストボーン(イングランド)〜

投稿日:2021年1月14日 更新日:

海風に乗って円を描きながら悠々と飛び交うカモメたち。聞こえてくるのは彼らの甲高い鳴き声と、海岸に打ち寄せる波の音。風は強く、視界を遮るものは何もない。
ここはロンドンの南方、イギリス海峡を臨むビーチーヘッド岬。海面から160メートル以上そびえる真っ白なチョーク岩の崖が延々と続く、文字通り荒削りの自然を堪能できる場所だ。

©︎Rob Wassell

岬の先にはベル・トゥートという名の美しい灯台が立っている。歴史ある灯台だが、現在は一般客が宿泊できるB&Bとなり、大変な人気を博している。
今月は「灯台に暮らす」というひとときのロマンを味わわせてくれるこの「ベル・トゥート・ライトハウス」を、美しい写真の数々とともにご紹介しよう。

©︎Rob Wassell

まずはその歴史から。
海面下からチョーク岩が隆起して陸地になったという、この独特な地形の形成も興味深いが、それはおよそ一億年前の話。それについては他稿に譲るとして、まずは灯台が建てられたところまで時計の針を戻そう。

©︎Rob Wassell

ビーチーヘッドは航海にとって大変危険な場所であり、古くは17世紀末頃に灯台の建設を嘆願する声が上がったという記録が残っている。19世紀初頭に木造の灯台が建てられ、その効果が見定められたのちの1831年、より堅牢な石造の灯台の建設が始まった。

©︎Rob Wassell

翌年完成したのが、アルガン式ランプで光達距離35キロを誇るベル・トゥート灯台である。海の道しるべとなった沿岸灯台は多くの船に安全な航行をもたらすことになったが、年月が経つにつれ柔らかいチョーク岩崖の侵食が進み、灯台のすぐ足元の崖にも亀裂が見られるようになった。また、霧が立ち込めると灯台の明かりが遮られてしまったり、岸近くを航行する船から灯台が見えづらいなど、この土地の特徴的な形状から生じる問題が次々と明らかになる。

崖下のビーチーヘッド灯台 ©︎Rob Wassell

そのため、1902年に崖の下にビーチーヘッド灯台という新たな灯台が建てられた。

オフショア(沖合)にあるビーチーヘッド灯台はとりわけ夕焼けに映える ©︎Rob Wassell

赤白のストライプが特徴的なこの灯台は、1983年の全自動化までのおよそ80年の間、住み込みの灯台守によって手動で管理されていたそうだ。

さて、崖上のベル・トゥート灯台に話を戻そう。
ベル・トゥート灯台はその役目をビーチーヘッド灯台に譲ったのち、幾度かの災難に見舞われる。

1945年頃のベル・トゥート灯台。戦時中の深刻な破損状態がわかる。 ©︎Rob Wassell

第二次世界大戦中には当時の持ち主が避難をしている間、カナダ軍の砲撃の訓練の的として使われたことにより、大きく破損してしまう。

ウェブサイトより

その後修復を経て、所有者が何度も変わりながらも現代へと引き継がれてきたが、1999年のある夜、雷のような突然の轟音とともに崖の一部が大きく崩れ落ちるという決定的な出来事が起きる。いよいよ抗えない自然の力を前に、灯台をそのまま陸地の方へと17メートル後退させる大掛かりな工事が行われることになった。

©︎Rob Wassell

美しい外観を取り戻し、安全が確保されたことで保存財団が設立され、2010年に一般客も利用できるB&Bと観光センターとして開業した。
こうして紆余曲折を経て灯台から宿泊施設へと生まれ変わったベル・トゥートだが、そこには常にこの灯台と美しい景観を後世に残そうと尽力する人々の思いがあったことが見てとれる。実際、現在も波浪による崖の侵食は年間およそ60センチほど進んでおり、それを見越して1999年の移動工事の際には灯台の下に特殊なレールが設置され、水槌ポンプで灯台をさらに移動させることが可能となっているのだ。今後20年から40年の間に再び移動が必要になると言われている。

©︎Rob Wassell

©︎Rob Wassell

では、いよいよ灯台の中に入ってみよう。 ベル・トゥートにはテーマ別にインテリアをあつらえた複数の客室がある。まずは、「キャプテンズ・キャビン」と呼ばれるこちらの部屋。その名の通り、レンガの暖炉や大きめのベッドは船の船長の休息の間を思わせる。窓辺の帆船の模型や落ち着いた色調の内装が洗練された空間を作り上げている。やはり灯台の中とあって広くはないため、ギャレーと呼ばれる調理スペースとシャワーは一続きになっていてコンパクトなつくりだ。窓からは崖下のビーチーヘッド灯台がよく見えて、人気のある部屋だそう。

©︎Rob Wassell

続く「ビーチ・ハット」は、先ほどとは対照的な軽やかな印象の部屋。パステル調でまとめられたインテリアは一昔前のシーサイドリゾートをイメージしているそう。

ウェブサイトより

窓からはこの一帯、サウス・ダウンズの国立遊歩道の開放的な景観がどこまでも続く様子が望める。

ウェブサイトより

そして、もっとも目を引くのが中二階にある「キーパーズ・ロフト」。「親密で風変わり」と形容されるこの小さな円形の部屋は、もともと灯台守の生活空間であった場所。はしごを登った先のロフトにベッドが収納されている。

ウェブサイトより

この狭さゆえに利用できるゲストの身長や体格の大きさには制限があるそう。灯台守と聞くと辺境の岬で孤独な作業に従事する人の姿をイメージするが、ここはそんなうら悲しくも趣のある暮らしをひとときの間、追体験できる空間なのかもしれない。

宿泊客はこのゲストラウンジに集う。冬はかなり寒くなるので暖炉は必須だ。 ©︎Rob Wassell

360度の景色が望めるランタン・ルーム ©︎Rob Wassell

灯台の上部にあたるランタン・ルームの外側は回廊になっており、風が強すぎなければ歩いて景観を楽しむことができる。 ©︎Rob Wassell

©︎Rob Wassell

上階に上がるとゲストラウンジがあり、さらにそこから狭い階段を上がると、塔のてっぺんにあたる総ガラス張りのランタン・ルームがある。ここは地平線と水平線の両方がパノラマの景観として見られる場所で、とくに夕陽が沈む光景は息を飲むほどに美しいそうだ。

©︎Rob Wassell

ベル・トゥートが立つビーチーヘッド一帯は、「悲劇と美しさがせめぎ合う場所」と呼ばれてきた。自然の力を前に翻弄される人々の歴史や戦争の爪痕も感じられる一方で、悲しいことに現代では自殺の名所としても知られている。しかしこの一帯には、人間の営みの時間軸とは異なる悠久の時の流れが確かに存在する。ベル・トゥート灯台はそんな過去と現在、自然と人間をつなぐ楔のように、何もない風景の中に凛と佇んでいる。

©︎Rob Wassell

写真/All sources and images courtesy of The Belle Tout Lighthouse
Photographs by Rob Wassell and photographs from the Belle Tout website are credited accordingly.

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

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河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書、展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。主な訳書・訳文に『ジャン=ミシェル・バスキア ザ・ノートブックス』(フジテレビジョン/ブルーシープ、2019年)、『バスキアイズムズ』(美術出版社、2019年)、エイドリアン・ジョージ『ザ・キュレーターズ・ハンドブック』(フィルムアート社、2015年)、”From Postwar to Postmodern Art in Japan 1945-1989”(The Museum of Modern Art, New York、2012年)など。近年は、展覧会の音声ガイドの執筆も手がけている。

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