《 世界のワクワク住宅 》Vol.045

愛と自由に満ちたムーミン谷の<ムーミンハウス>〜ナーンタリ(フィンランド)

投稿日:2021年10月18日 更新日:

「世界のワクワク住宅」のコラムでは、世界中にある一風変わった住宅やホテルなど、「人が暮らす空間」を自由に考えるためのヒントとなるようなさまざまな場所を紹介している。
久保田編集長いわく、「このコラムはアイディアの宝庫」。そして、ここでは「フィクションでもノンフィクションでもワクワクさせられる要素があれば取り上げたい」とのこと。

これまで『赤毛のアン』の家『アルプスの少女ハイジ』の山小家を取材してきたが、いずれも人々が慣れ親しんできた世界観を美しく再現するとともに、作者の理想や哲学を垣間見ることができる、そんな空間であった。
空想と現実が交錯する場所には、やはりワクワクさせられる要素がたくさんあるようだ。

今回は日本で今なお根強い人気を博す、フィンランドの作家トーベ・ヤンソン(1914-2001年)の『ムーミン・シリーズ』の舞台である「ムーミンハウス」を紹介したい。

ムーミンハウスがあるのはフィンランド南西の港町ナーンタリの離れ小島。穏やかな海へと伸びる長い桟橋を渡った先に広がるテーマパーク、「ムーミンワールド」のシンボルとして1993年に建てられた。派手なアトラクションの類はなく、のどかなムーミン谷を丸ごと再現した緑豊かなパークでは物語に寄り添う形で季節が巡る。ムーミン谷が雪で覆い尽くされる頃ムーミンたちは冬眠するが、パークもまた長い冬の間は扉を閉ざし、夏の数ヶ月のみ来場者を迎え入れている。

ムーミンハウスと言えば、先の尖った赤茶色の屋根と青い壁。「青」ではなく「ブルーベリー色」と形容されることが多く、その響きがなんとも愛らしい。ご存知の方も多いだろうが、ムーミンパパが自ら設計した家で、タイルストーブに似た円筒型をしている。
作者のトーベが第二次世界大戦直後に出版したものの、その後長らく世に出なかったムーミン・シリーズの第1作『小さなトロールと大きな洪水』で初めて登場するが、洪水、嵐、彗星の接近など何度も災害に見舞われながらも一度も壊れずに立ち続けている。ムーミン一家に安息を約束する場所だが、大勢のお客さんが出入りを繰り返すために手狭になり増築されたこともある。リトルミイもスニフもスノークメイデンもここに暮らしたり、泊まったり。なかなか自由な場所なのだ。

ムーミンハウスの再現はこれまで何度か行われてきたが、実はその姿は一様ではない。1970年代にトーベが2.5メートル高の模型を制作しているが、これは円筒型ではなく、ベランダや外階段がある言うならば(ミニチュアでありながら)巨大な屋敷。大勢が住める様子に重きを置いているようにも見える(現在はタンペレ市のムーミン美術館に展示)。
一方、2019年に埼玉県飯能市につくられたムーミンバレーパークにある「ムーミン屋敷」はスリムな円筒型。私も一度ここを訪れたことがあるが、らせん階段を上がっていきながらムーミンの世界にお邪魔し、覗かせてもらうような、そんな親密な空気感がある。

そして、このナーンタリにある地上4階建てのムーミンハウスは日本のものより大きく、トーベが初期の作品で描いた家の図面により忠実に作られたものだと考えられているが、肝心なのはトーベ自身の家に対するイメージが流動的で自由であったことかもしれない。かつて彼女は物語の家と自身が手がけた模型の家の違いを指摘され、「だって、家が建つ前からその姿を想像するのは簡単ではないでしょ」と、相手を煙に巻くようなユーモアで答えている。紙上の空想と現実にずれが生まれようとも、それは作者の自由であり、両者のあわいを埋めるのはほかならぬ読者の想像力であると言いたかったのではないだろうか。

では、ムーミンハウスのディテールを少し見ていこう。

まずは玄関横のポーチ。ムーミンパパとムーミンママがティータイムを楽しむ場所。家の横には小川が流れ、手動式の噴水もある。

1階はリビングとキッチン。ストーブやカウンター、所狭しと並べられた鍋や食器が家族の日常を想像させる。

ここからダイニングルームへと続くが、パーティーの準備中だろうか、テーブルの上にはケーキが置かれている。

階段を上がった2階には大広間とムーミンパパとムーミンママの寝室。壁には二人の結婚式の写真が掛けられ、暖炉やキャビネットがある。
3階のメインはムーミンパパの書斎。読書家で博識だが、空想にふけることが多いのはかつてよく冒険に出た名残りだろう。ムーミンパパはこの書斎で若かりし日々を「思い出の記」に綴っている。

そして4階はムーミンの部屋がある屋根裏部屋。見晴らしがよく、窓からは実際にバルト海を望むことができるそう。

最後は家の裏手にある貯蔵庫。ムーミンママと言えばジャム作りが得意なことで知られるが、次の年まで常備しておくのがお約束。

ひんやりと暗い空間は長い冬を越すための食料を保つためで、理にかなっている。

さて、先ごろ、作者の半生を描いた映画『トーベ』(ザイダ・バリルート監督、アルマ・ポウスティ主演)が日本でも公開されたが、これを観ると彼女の人生が決して順風満帆ではなかったことがうかがえる。
戦争を背景に、厳格な彫刻家の父、保守的な美術界に抑圧されるトーベ。ロンドンの新聞へのコミック連載を機にムーミンが人気を博すのは後年になってからであり、芸術家として芽が出ない日々が長らく続く。そして、同性愛が禁じられていた時代にあって、女性との恋愛関係にも翻弄されるといった具合だ。

およそ牧歌的なムーミンの世界にはそぐわないと思いきや、トーベは登場人物の多くに自身や周りの人間を投影している(2人組のトフスランとビフスランはトーベと同性の恋人、スナフキンはトーベが一度は結婚を考えた男性の恋人、そしてリトルミイは抑圧されたトーベの自我とも言われている)。
そして、あくまでも個人的な感想だが、人が住まう「家」が大きなメタファーとなり、彼女の人生や価値観を映し出しているように思えるのだ。

風雪に耐え抜いた家は困難に立ち向かう強いトーベを思わせるし、家族を守りながらも客人に門戸を開く家は、彼女の世界が内省的になったり、社交的になったりするさまと呼応しているように見える。そして、典型的な家族(パパ・ママ・息子)が住む温かい家だが、放浪者のスナフキンや正体の定かではないニョロニョロたちが登場したりすることで、伝統的な家族観やジェンダー観がときに揺らぐこともある。

このようにムーミンハウスは、そこにムーミンの物語、そしてトーベ自身の人生の物語を重ねていくことでより一層豊かな世界を見せてくれるようだ。今年のムーミンハウスはすでに扉を閉ざし、中では皆の冬仕度がせわしく進んでいることだろう。季節が巡り、夏がくる頃に、再び多くの人々を温かく迎え入れる。

写真/All sources and images courtesy of Muumimaailma Oy and Moominworld.
©︎Moomin Characters TM
Theme park created by Dennis Livson

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

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河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書、展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。主な訳書・訳文に『ジャン=ミシェル・バスキア ザ・ノートブックス』(フジテレビジョン/ブルーシープ、2019年)、『バスキアイズムズ』(美術出版社、2019年)、エイドリアン・ジョージ『ザ・キュレーターズ・ハンドブック』(フィルムアート社、2015年)、”From Postwar to Postmodern Art in Japan 1945-1989”(The Museum of Modern Art, New York、2012年)など。近年は、展覧会の音声ガイドの執筆も手がけている。

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