当ウェブマガジンに「DIY賃貸推進プロジェクト」という人気コーナーがある。
株式会社ハウスメイトマネジメントの伊部尚子さんに連載いただいているコーナーで、入居者さんがDIYで自分好みの部屋をつくれる賃貸住宅を増やしていくことを目的に展開している。 その記事を編集しているとき、僕はよく父のことを思い浮かべる。
僕自身は小学校時代、図画工作の成績が「2」で、周囲にびっくりされてしまうほど手先が不器用なものだから、DIYをやりたいとはあまり思わないのだけれど、父は僕と正反対でとても器用。昔から必要なものは何でも自分でつくってしまう。
先日、父の家庭菜園に遊びに出かけたときもひとつ驚いたことがあった。
父の菜園(※90坪もやっている)はJAから農地を借りてやっているのだが、そこには水道がない。
始めた当初はポリタンクに水を入れ、自転車(※父は車の免許を持っていない)で持ち運びしていたのだが、それが面倒になってきた父は自分で水道をつくってしまっていたのだ。
父の畑仲間には元・大工の棟梁や水道工事会社の社長、電気工事屋さんなどがいる。
その方たちの手も借りて農具や肥料などをしまう小屋を建てていて、父はその小屋に雨どいをつけて水道をつくることを思いついた。
仕組みはこうだ。
まず、小屋に取り付けた雨どいを伝わってくる雨水を大きなバケツで受ける。
大きなバケツの下部には蛇口を付けていて、ここから小さなバケツへ水を汲めるようにしてある。
大きなバケツにはもうひとつ、上部に水道の蛇口がある。
これは雨水がバケツにたまり、あふれそうになってきたら使う。
蛇口をひねると雨水はスチール製の浴槽に流れ込む。
この浴槽は近所のリフォーム工事会社さんから頂戴してきたものだ。
ここに貯められた水をひしゃくで小さなバケツに汲み入れ利用することもできる。
大まかに言えばそういう仕組みだ。
この水道をつくったおかげで、父は自宅から水を運ぶ作業から解放された。
欲しいもの、必要なものは自分でつくる。考えてみたら、父はずっとそうやってきていた。
上の2つの画像は、僕が子どもの頃、父が庭につくった縁側である。
親戚に大工さんがいて、その方にも手伝ってもらい1日でつくった。
僕の住む家はとても小さかったのだけど、縁側を子ども部屋代わりに使えるようになったので、晴れの日も雨の日もよくここで遊んだ。
続いてご覧いただくのは父がDIYでつくったうさぎ小屋だ。
うさぎ小屋の床はすのこになっていて、うさぎの糞は下の引き出し部分に転がってくる。
引き出しには新聞紙が敷いてあり、それを丸めてしまえば掃除は終了。
父の工夫に子どもながらに感心したのを覚えている。
最後にご紹介するのは父が以前、畑仲間と一緒につくった休憩用の小屋だ。
JAの農園の中にブナ林だったスペースがあり、木は全て伐採されたが、切り株だけが残されていた。
父は畑仲間と一緒にここを勝手に“開墾”して更地にし、元・大工の棟梁が集めてきてくれた木材などを使って、何日もかけて小屋を建ててしまった。 JAも元々使っていなかった土地だったからと黙認してくれた。
でき上がった小屋に父たちは「トム・ソーヤの小屋」という名前をつけた。
ハックルベリー・フィンが住むツリーハウスをトムが一緒につくる場面を思い出し、そう名付けたのだそうだ。
「トム・ソーヤの小屋」の中はきちんと床組みがしてあり、その上に畳を敷いている。
父たちはテーブルやガスコンロなどを持ち込み、簡易な照明器具も設置した。
畑作業が終わった後、ここで父たちは自分たちがつくった野菜を中心とした鍋料理をつくり、お酒を飲んで過ごした。
「トム・ソーヤの小屋」は老朽化が進み、しばらく前に解体してしまった。
一緒につくった畑仲間も亡くなってしまったり、畑作業ができなくなってしまったりで、ほとんどいなくなったので、再びつくられることはないだろう。
でも、ひとりで自分の水道をつくるなど、父のDIY精神はまだまだ健在。
欲しいものは自分でつくる。
その心のたくましさがDIYの原点なのだとしたら、DIY賃貸が増えていけば、世の中にたくましい人もきっと増えていく。
そんなことを期待してしまう。
その前に、自分自身がたくましくならないといけないのだが。。。
手先が不器用だからと逃げ回っているのでなく、父が元気なうちに、一緒にいろいろつくってみようか。
文:久保田大介