アトリエの歴史から学ぶ
アトリエ・工房がついた賃貸住宅=「アトリエ賃貸」を日本中に増やしていく「アトリエ賃貸推進プロジェクト」を担当している久保田大介です。
本コーナーは先月(2021年3月)から開始しましたが、さっそく美術関係者を中心に賛同のお声を多く頂戴しました。本稿に入る前に、2つのお声を紹介いたします。
「絵画やガラス細工の製作のため長らくアトリエを探し続けている者です。お救いいただきたいくらい探し続けております。この企画がぜひ不動産オーナー様たちのお目に留まりますことを願っております」
「とても素晴らしいプロジェクトだと思います。私は陶芸をしていますが、なかなか物件が見つからない状態です。
ぜひアトリエ賃貸を増産していただきたいです」
アトリエ・工房探しで苦労されている方たちが多いことはわかっているつもりでいても、直にお声をいただくと、自分が考えているよりもずっとアトリエ賃貸へのニーズが強いことが実感できます。また、アトリエ賃貸のようなコンセプト賃貸をプロデュースしていく際、ユーザー(アトリエ賃貸の場合ならアトリエや工房を実際に使う方々)にじっくりお話を伺い、素人の不動産関係者が“ひとりよがり”の物件をつくってしまわぬよう心がける必要があります。そのためにも美術関係者のご意見・ご要望を多くいただけたら非常にありがたいです。
さて今回は「アトリエの歴史から学ぶ」というテーマで、「アトリエ村資料室」の本田晴彦代表にインタビューをしてまいりました。本田代表は「池袋モンパルナス」と言われた戦前のアトリエ村の記録を後世に残す仕事をなさっておられます。ご自身も美術作家として活躍されている方で、現代のアトリエ事情や理想のアトリエ像なども伺ってきました。
「アトリエ村資料室」の活動
久保田:はじめまして。「ワクワク賃貸」の編集長をしている久保田と申します。私たちはアトリエや工房がついている賃貸住宅を増やす取り組みをしておりますが、今日は「アトリエの歴史から学ぶ」というテーマでじっくりお話を伺いたいと思います。
はじめに本田さんが代表を務めておられる「アトリエ村資料室」のことをご説明いただけますか?
本田代表:久保田さんは「池袋モンパルナス」の話を聞いたことがあるでしょうか? 戦前、池袋周辺には「アトリエ村」と呼んでもいいようなアトリエ付きの賃貸住宅群が数多くありました。
「モンパルナス」は美術ファンにはお馴染みですが、20世紀はじめの頃、世界中の若い芸術家たちが住み着いたパリ南部の地区のことです。池袋がそのモンパルナスのようだということで、詩人の小熊秀雄が池袋モンパルナスと名付けたと言われています。
「アトリエ村資料室」は、池袋モンパルナスに関わる人物、地誌、歴史などの基礎資料になる書籍、雑誌、画集、ポスター、写真、DVDなどを集め、調査研究の一助になるよう公開しています。
豊島区と民間ボランティアによって運営されており、以前は小学校の旧校舎で資料を展示していましたが、2012年3月に旧校舎解体ともとに休室となっています。
久保田:本田さんは「池袋モンパルナス」について多数執筆されておられます。私は『美術の窓』2021年2月号の特集記事「池袋モンパルナスって何だ?」を読ませていただきましたが、この中で紹介されていた「培風寮」と「さくらが丘パルテノン」と呼ばれたアトリエ村が印象に残りました。
この2つのアトリエ村についてお話しいただけますか?
本田代表:はじめに「池袋モンパルナス」の起源とも言われている「培風寮」からご紹介しましょう。
花岡謙二という詩人が1920年に池袋駅西口前に書店を開業しました。しかし商売が嫌いなのかどうか、理由はよくわかりませんが、早々に店を人に譲り、1924年に立教大学の学生を対象にした下宿屋を始めます。それが「培風寮」なのですけれど、まかないが面倒なのか、すぐに普通のアパートになり、次第に芸術家や詩人たちの梁山泊のようになっていきました。
久保田:「芸術家や詩人たちの梁山泊」なんて素敵ですね!
花岡謙二さんのご子孫でいらっしゃる花岡道子さん所有の見取り図を見ると、花畑や池、たくさんの樹々があり、豊かな自然に囲まれていたアパートだったことがわかります。
お部屋自体は3~4畳半の一間が多いようですが、それとは別に台所や食堂があります。これらは入居者さんたちが自由に使えたのでしょうか?
本田代表:台所は開放されていて、ここで食事をつくり、部屋で食べていたようです。浴室もありますが、これは大家一家のもので、入居者たちは近くの銭湯に通っていたと聞いています。
花岡は駅前の書店時代にも、若き前田寛治らの展覧会を店内で催していて、元々絵描きが好きだったようです。花岡に関する書籍も出版されていますが、ずいぶんと魅力的な人物だったみたいです。「絵描きが好きな人に悪い人はいない」と言いますが、本当にその通りだと思います(笑)。
久保田:画家さんたちが台所を共用していたなんて、画家のシェアハウスみたいだったのですね。
「さくらが丘パルテノン」のほうはいかがでしょうか?
本田代表:「さくらが丘パルテノン」は60棟ほど(二軒長屋含む)のアトリエ付き住宅が建てられた最大のアトリエ村です。
ここには長沢節、難波田龍起、野見山暁治など、枚挙にいとまがないほどの絵描きたちが住まいました。
久保田:60棟とはまたすごいですね! 当時のアトリエ賃貸はどのようなものだったのでしょうか?
本田代表:アトリエは板敷でだいたい15畳ぐらい。そこに3畳から4畳半ぐらいの居住空間がありました。
北向きに大きな天窓があり、一日中安定した光源が得られました。
裸のモデルを使いますので、アトリエには強力な石炭ストーブと煙突が付いていました。
そのほか彫刻に使う粘土の乾燥を防止するために槽が床下に備えてありました。
ものつくりの環境としては優れていたと言えるでしょう。
久保田:天窓は北向きというところがポイントのようですね。ほかの向きだと光は強かったり弱かったりします。アトリエとして何が大切か、よく考えて建築されたように感じます。
本田代表:今日ではすぐれた電灯光源があるのでいいですが、当時このように採光に工夫されたアトリエは貴重だったと思います。
「よく考えて建築された」という点では、大きな絵画作品をアトリエから出しやすくするために、幅は狭く高さは天井までの扉がとりつけられていました。実際にあった話ですが、アトリエのなかでできた作品が出せなくなって柱を切った、なんてこともありましたから、この点も便利だったと思います。
久保田:大きな作品を搬出するためには、確かに大きな扉が必要ですが、ついつい見落としてしまいそうな気がします(笑)。
今回、さくらが丘パルテノンのアトリエ賃貸を再生された春日部幹建築設計事務所の春日部幹先生に、「幅70cmほどの流し台と便所、風呂場はついていた」と伺いました。そうした生活空間はどのようなものだったのでしょうか?
本田代表:春日部さんが再生されたものは何回か改装されたあとの住宅で、当初、便所は汲み取り式のものがありましたが、流し台と風呂場はありませんでした。共同井戸があり、料理や洗濯はそこでして、火は七輪を使いました。風呂は銭湯通いをしていました。これらの場所でコミュニティーが生まれていったのは当然の成り行きだと思います。
久保田:若い芸術家同士、互いに助け合ったり、芸術論を闘わせ合ったり、濃いコミュニティーを形成していたのでしょうね。
アトリエ賃貸に望むこと
久保田:話は現代に変わりますが、今の若い芸術家たちのアトリエ環境について教えてください。
本田代表:美大生は学校のアトリエを利用できるのですが、卒業すると途端に困ります。都心部にアトリエを持つのは難しく、都心からだいぶ離れた山村部で農家や鶏小屋、工場などを借りている人が多いです。
彫刻は屋外でもできるので、山中で空き地を借りている者もいます。
久保田:皆さん、だいぶ苦労されておられるようですね。
今後、都心部にアトリエ賃貸をつくっていくとすると、どのような機能や設備を望まれますか?
本田代表:「何もない」ということが望ましいです。ものつくりをする人にとって必要なものはそれぞれ違いますから、何でもできる、つまり「何もない」場所が一番いいと思います。
インフラとしては電源、水回り、ある程度の床への補強が必要ですが、それ以外はものをつくる人間なのだから、自分である程度の改装、改修ぐらいはできないと、アトリエを使いこなすことができないと思います。
久保田:「ワクワク賃貸」には「DIY賃貸推進プロジェクト」という企画もあります。美術作家の方たちが自分の使いやすいアトリエをするためにDIYをしたいとなると、アトリエ賃貸とDIY賃貸は重なり合う部分が多そうです。
本田代表:そう思います。自分の創作環境は自分でつくりたいものです。
久保田:アトリエ賃貸では、床を土間、あるいは汚れに強いフロアタイルなどにすることを念頭に置いていますが、この点はいかがでしょうか?
本田代表:床はコンパネ剥き出し、つまり土間が望ましいですね。版画のプレス機を置いたりするので、重さに耐えられるものであってほしいです。
久保田:最後に「アトリエ賃貸推進プロジェクト」に期待することがありましたら、お聞かせください。
本田代表:ものつくりにプロもアマもありません。自分で何かつくりたいと決めればプロになるわけですが、だんだんと作品がたまったり、作品そのものが大きくなっていったりすると困ることが増えてきます。つくるときも一つだけつくっているわけではなく、同時に複数つくるのが普通です。
そういった意味では作品をストックしやすいというのも大事な点だと思います。天井部分に旧作をストックしている人も多いですよ。
久保田:アトリエはものつくりをする場所であるだけでなく、ストックする場所でもあるということですね。
今後アトリエ賃貸をつくろうとされる不動産オーナーさんたちにお伝えしていきたいと思います。貴重なご意見をありがとうございました。
本田代表:アトリエ賃貸は新しい日本の文化をつくると思います。大いに期待しています。
【本田晴彦氏のプロフィール】
美術家。「アトリエ村資料室」代表。
立体作品・平面作品を国内外の画廊で発表。池袋を中心とするアトリエ村の調査研究をしている。
文:久保田大介